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Biography

1986年、伝説のアンダーグラウンドバンド「LIBIDO」に在籍していた田中ケンロウ(G)と佐藤 カツ(Ds)が、LIBIDOとは違う音楽をやるためにメンバーを集め結成する。第一期のメンバー構成は、女性Vo、G×2、B、Dsで、ツインギターをフィーチャーしたジャズロックとプログレを融合したサウンド。1987年3月、渋谷La.mamaで初ライブを行う。この年のライブはこの1回のみ。

1988年は精力的に活動する。吉祥寺SILVER ELEPHANT、原宿CROCODILEなどでライブを9回行う。
MADE IN JAPAN RECORDSのオムニバスアルバム「Canterbury Edge」に参加。直後にギターが脱退する。サウンドはジャズロック色が薄れ、ヴォーカルと田中のギターをプッシュしたプログレポップになる。1989年2月にヴォーカル脱退、第一期活動が終了する。この年のライブは1回で、第一期としてライブは11回行った。

初代ヴォーカル脱退後、田中、佐藤とベースでリハーサルを続けていたが、1990年にベースも脱退し新たなメンバー探しに入る。またこの年はサポートメンバーを迎えてinterpose名義で2回ライブを行う。ロック雑誌のメンバー募集欄でドラマーを募集していた小池俊之(B)とキーボードに田中が連絡し加入させ、第二期活動がスタートする。1991年に二代目女性ヴォーカルが加入し第二期メンバーが固まる(女性Vo、G、Kb、B、Ds)。キーボードが入りサウンドはシンフォニックに変化する。

1992年3月に吉祥寺SILVER ELEPHANTで第二期メンバーによる初ライブを行う。同年9月、渋谷La.mamaのライブをもって第二期活動が終了する。第二期のライブは1992年に行った4回のみで、短い活動期間であった。ここから長期活動休止に入る。休止期間中メンバーはそれぞれ別の場所に音楽活動の場を求めていく。

2001年、佐藤のライブに訪れた、田中、小池の3人が意気投合し、第三期活動がスタートする。同年、田中と一緒にYESのトリビュートバンドで活躍していた米倉竜司(Kb)が加入する。2003年にあるがさゆり(Vo)が加入し、第三期メンバーが固まる。バンド名をinterposeからinterpose+に変更。さまざまな音色を出す各楽器、そして歌が絡み合うサウンドが特徴である。
2004年1月に吉祥寺SILVER ELEPHANTで第三期メンバーによる初ライブを行い、同年はライブを4回行った。

2005年2月〜5月にファーストアルバムのレコーディングを行う。レコーディング終了。
直後に米倉竜司が脱退する。同年7月に渡邉のぶを(Kb)が加入。
11月にファーストアルバムをPOSEIDON/MUSEAよりリリース。12月に小池俊之が脱退。小池脱退後はKBBのDaniがゲストとしてベースを務める。2006年3月、メキシコで行われた世界最大のプログレフェスティバルBAJA PROG 2006に出演し成功を収める。2006年5月、Daniが正式にメンバーとして加入する。

2006年11月〜2007年2月にセカンドアルバムのレコーディングを行う。2007年6月にセカンドアルバム「INDIFFERENT」をリリース。直後にオリジナルメンバーの田中ケンロウが脱退。後任ギタリストとして飯島丈治が加入。

2008年5月、フランスで開催されたプログレフェスティバル「Prog'Sud 2008」に出演。2008年6月、ライブDVD「LIVE 2008」をリリース。


2009年4月、スペインで行われたMadrid Art Music Festival(MAM)に出演。

2010年、飯島丈治とDaniが脱退。 2011年、ギターにオリジナルメンバーの田中ケンロウが復帰、ベースにARS NOVAから柴田伸子を迎え活動を再開。



 

 




有賀 さゆり(あるが さゆり)
有賀 さゆり(あるが さゆり)
田中 ケンロウ(たなか けんろう)
田中 ケンロウ(たなか けんろう)
渡邉 暢夫(わたなべ のぶお)
渡邉 暢夫(わたなべ のぶお)
柴田 伸子(しばた しんこ)
柴田 伸子(しばた しんこ)
佐藤 カツ(さとう かつ)
佐藤 カツ(さとう かつ)